生誕100周年を迎えた巨匠 Hans J Wegner(ハンス・J・ウェグナー)の代表作 Yチェアはなぜ世界中で愛されているのか?
text : 宇田川しい
生涯で500脚以上のチェアをデザインしたデンマーク家具の巨匠Hans J Wegner(ハンス・J・ウェグナー)。
この4月にウェグナー生誕100周年を迎えたことを記念して、様々な企画が発表されています。
ウェグナー作品を販売するカール・ハンセン&サン ジャパン株式会社では、
ウェグナーの誕生日である4月2日の注文限定で、代表作のYチェアにウェグナーのサインを刻印して販売。
これは残念ながら期日を過ぎてしまいましたが、インテリアショップACTUSでも限定のYチェアが販売されています。
こちらがACTUSで販売されている「ハンス・ウェグナー生誕100周年記念モデル」。
樹齢100年のビーチ材で作られた、限定400脚、シリアルナンバープレート付きのYチェアです。
ウェグナーと同じ時代を生きた木で作られたYチェアということになります。
北欧デザインを支える「リ・デザイン」の思想
優美な曲線と、温かみのある表情が特徴のこのイスは1949年にウェグナーがデザイン。
現在まで世界に70万脚以上が出荷されています。
Yチェアは、デンマーク近代家具デザインの父と言われるKaare Klint(コーア・クリント)が提唱するリ・デザインの思想に基づいて誕生しました。
リ・デザインとは古典的なデザインや先人のデザインに改良を加えて現代的にアレンジすること。
「古典には優れたモダンが隠れている」とクリントは述べています。
この考えは、アルネ・ヤコブセン、ボーエ・モーエンセン、ポール・ケアホルム、そしてウェグナーなど多くのデザイナーに影響を与えました。
北欧デザインはリ・デザインの思想なしに語れないと言ってもいいでしょう。
Yチェア誕生の経緯を見てみましょう。
Yチェアのそもそものルーツは明朝(14~17世紀)のイス圏椅(クワン・イ)。
これが圏椅です。
圏椅にインスピレーションを得たウェグナーが1945年にリ・デザインしたのが、この「チャイニーズチェア」。
自らデザインした、このイスをさらにリ・デザインしてYチェアは生まれました。
チャイニーズチェアに比べ、笠木の部分の曲線が抑えられ、よりモダンなイメージになりました。
また、肘の部分も短くなっています。(これがイスの上であぐらをかく人の多い日本では好評なようです……)
Yチェアの名前の由来は背の部材がY形であるため。欧米ではウィッシュボーン・チェアと呼ばれることも。
ところでYチェアと同じ1949年に、ウェグナーが同じくチャイニーズチェアをリ・デザインしたイスがもう1つあります。
それがこの「ザ・チェア」。世界で最も美しいイスとも言われます。
ケネディvs.ニクソンのテレビ討論会で使用されたことで注目され、
ウェグナー、ひいては北欧デザインが世界から評価されるきっかけとなったイス。
ザ・チェアと比較するとYチェアの特徴がよくわかってきます。
まず座面が、ザ・チェアは籐で巻かれているのに対して、Yチェアはペーパーコード。
そして笠木の部分ですが、ザ・チェアは3つの部材をフィンガージョイントによって繋げています。
一方、Yチェアは曲げ木です。
つまりザ・チェアと比べるとYチェアは量産しやすいのです。
とはいえ、もちろん手を抜いているのではありません。
Yチェアを正面から見ると後部の足が優美に3次元的曲線を描いているように見えます。
しかし、こうやって斜めから見ると分かるように、実は2次元的な曲線なのです。
つまり大きな木材から削り出す必要がなく、板から切り取れるわけです。
製造過程を合理化しながら、デザインで汗をかくことによって優美なシルエットを作り出しています。
クリントはリ・デザインと共に「手の仕事」も重視しました。
Yチェアのペーパーコードは熟練した職人さんによって手作業で巻かれます。
木部の仕上げにも随所に手仕事が活かされています。
Yチェアがウェグナーのプロダクトの中で最も多く製造され、代表作とされるようになったのは、
手仕事と合理化の融合があったからなのかもしれません。
ウェグナーは「デザイナーである前に職人であれ」をモットーとし、図面をひくだけでなく自ら試作品を作りました。
だからこそ職人の技を大切にしながら製造工程を合理化出来たのでしょう。
こうして生み出されたYチェアは世界中で愛されています。
優美でありながら、シンプルで素朴なフォルムは、
本来の用途であるダイニングチェアとして家庭の食卓を優しく演出するのはもちろん
現代的な大建築の中にあって、不思議と存在感を発揮するようです。
Yチェアのある風景を見てみましょう。
(snap by instagram)
これは茨城県の水戸芸術館コンサートホール。
バルコニー席の補助イスとして並ぶYチェア。
大ホールの中に置かれると、細かな手仕事の良さがより引き立つ気がします。
こちらは世田谷美術館のレストランLe Jardin(ル・ジャルダン)。
オリエンタルなムードを残すYチェアがガラス張りのモダンな空間のアクセントになっています。
六本木の国立新美術館。
超近代的な大空間の中で、この存在感。
ちなみに新美術館にはYチェアのほかスリー・レッグド・シェルチェアとエルボーチェアの2つのウェグナー作品が採用されています。
ほかにもヤコブセンやケアホルムの名作チェアが多数あり、デザイン好きはそれだけでも楽しめます。
その誕生の経緯を知ると、Yチェアが多くの人に支持されている理由がよく分かったのではないでしょうか。
世界中で愛されているYチェア。
中にはこんな人も――。
カール・ハンセン&サン社の職人さんのようですね。
素晴らしい愛社精神、そしてYチェア愛です^^;
●Hans J Wegner/ハンス・J・ウェグナー(1914ー2007)
ユトランド半島、トナーで、靴製造を営む家に生まれる。幼い頃から父の仕事を見て育ち、職人の道に。
家具職人H.F.スタールベアの元で修行。17歳で家具職人の資格を取得。
20歳で名門として知られるコペンハーゲン美術工芸学校家具課に。
卒業後、アルネ・ヤコブセンの事務所を経て独立。
北欧のクラフトマンシップに溢れた名作の数々を世に出した。
宇田川しい(うだがわ・しい)/コラムニスト、ライター。
インテリア・雑貨・文具などに関するプロダクト史を得意とし、雑誌やウェブにコラムを執筆。『月刊総務』誌上でコラム「総務、いまむかし」を長期連載。ビジネスマガジンアプリ『Management Leader』ではカルチャー系コラム「疑わしい世界」を連載中。
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